Sunnyday’s diary

49歳で離婚、50代で国際再婚活、アメリカ人の夫との生活

思った以上に深かったThe Minimalists Less is Now


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※全く利用しないのに、本棚にどんどん溜まっていく無料配布の夫の料理雑誌

 

 

夫がいない間に

 

The Minimalists Less is Nowを観た。

 

いろいろと頷ける場面があるというか

 

考えさせられる深い内容だった。

 

あまり言うとネタバレになるので

 

その中でいくつかだけ挙てみると

 

 

先進国と比較してもアメリカ人はとてつもなく長い時間労働している。

 

労働者の半数は2週間の休暇さえ取れない。

 

平均して週に47時間働いている。

 

ひとりでスマホやパソコンに向かう時間が増え

 

幸せと安らぎを与えるものを失っている。

 

アメリカ人が思う幸せと安らぎを与えるもののひとつには

 

自分のコミュニティで歓談したりすることだが

 

忙しさでその余裕がなく、あくせく働くので

 

ストレス発散のためモノを購入する。

 

大きな家や車がほしい…

 

欲望はブラックホールのようで尽きることがない。

 

アメリカン・ドリームの代償はストレスと不安と不満げだらけで

 

ポッカリと穴があいたような気持ちになる。

 

その穴をモノで埋めた。

 

人生に大事なことものを犠牲にして週に70時間80時間も働いた。

 

給料をもらうために働いて、まるでモノを買うために生きているようだ。

 

そしてクレカで無謀な買い物をして借金総額をふくらませるので

 

さらに働かなければならない。

 

家の中はそうやって買った家具、巨大テレビ、高級な陶器…高級時計、オーダースーツ、モノ、モノ、モノ…

 

平均的なアメリカ人の家庭には30万個のモノがあるという...

 

というナレーションの始まりでThe Minimalists Less is Nowは始まる。

 

うちの夫もこの典型的なアメリカ人だと思う

 

毎年11月はアメリカ人はサンクスギビングデーで

 

七面鳥を焼く。

 

その時には必ずクランベリーソースを添えるのだが

 

その時期、スーパーには冷凍のクランベリーが売られていて

 

そのクランベリーをフードプロセッサーにかけてから

 

鍋で少し煮るのだ。

 

ミキサーだとなめらかにならないため、昨年 夫はフードプロセッサーを購入した。

 

購入目的は毎年の七面鳥のローストのためのクランベリソースを作るため。

 

夫は去年の11月から今年の11月まで、一度もフードプロセッサーを使わず、

 

 

フードプロセッサーはキッチンカウンターに置かれ、場所をとっている。

 

考えてみれば、年一度必要なクランベリーソースなら

 

自分で作らなくても市販で探せば、いくらでも良いものが見つかるはず。

 

夫側料理好きで、余暇を料理を作って樂しのであれば

 

フードプロセッサーの出番もあっただろう。

 

結局、夫はパンケーキを作る時も、スムージーを作る時も

 

今までどおりミキサーに材料を入れて作るので、

 

彼の人生にはミキサーは有意義なんだろう。

 

フードプロセッサーの欠点は仕様した後に取り外して

 

部品を一つ一つ洗うのに手間がかかるので

 

使うことが遠のいてしまう点もある。

 

それでも何らかの理由があり、頻繁に使う人が購入するなら

 

払った価値があるのだろう。

 

The Minimalists Less is Nowでは

 

自分にとって、その物が本当に必要で、自分の人生にとって役立つのかを考える暇を

 

与えないようにさせるマーケティング技術の向上。

 

大手企業が増収を目指すには、消費者に自由に選ばせないで

 

自由に選んでいるかのように見せかけていて

 

実は私たちが興味を抱く対象は初めから操作されている。

 

怖いのは、欲しいものを必要なものだと認識するように転換する

 

マーケッターは感情を操作する能力にたけている。

 

そして、負のサイクルに陥った人々の具体的な例を見せたり、

 

貧乏から抜け出し

 

頑張っていい収入を得られるようになったのに

 

そこにはインフレが待ち構え、働いてはモノを買う連鎖で結局

 

まったく自由を感じられなくなった人々、

 

アメリカンドリームをつかもうとやってきた移民たちだが、

 

アメリカンドリームの代償は大きいのだと出演者が語る。

ガレージセールというアメリカの習慣がある。

 

不要な物をガレージに並べて安く売り、

 

近所の人が買いに来るのだが

 

これと言って絶対に必要だなと思った物はほとんどと言ってないし、

 

古くなって、壊れたものも並べられていて

 

売れ残るものが多そうだ。

 

多分、昔のガレージセールより売れなくなっているようだ。

 

またまた夫の例になってしまうが

 

夫はゴルフシャツを一カ月に3枚から4枚は買うので

 

クローゼットにはもう入りきれなくなり

 

洗濯した後のゴルフシャツをかけるハンガーもなく

 

きつきつになっているので、

 

新しいのを買うなら、その分の古いのを処分してと

 

お願いしているのだが、なかなかできない様子。

 

他にも、自分用のワークショップには

 

何十年も使用してないものが隙間なく置かれている。

 

そう、夫は典型的な捨てられないタイプのアメリカ人。

 

 

 

そこから抜け出しミニマリストになっていった人々は

 

人々がたくさんのモノにしがみついていることに警鐘を鳴らすために

 

具体例をあげ、最後にミニマルにするためのフローをざっくり教えてくれる。

 

しかし夫に、このフローを見せても、心底からは納得してくれないだろう。

 

物を買うという欲望はその強い副作用として執着心を残すので

 

不要なものでも捨てられなくなるのだ。

 

もし夫が私より先に亡くなったら

 

私は夫の物を処分するのにどのくらい大変になるのだろうかと

 

想像するだけで、ため息がでてくる。

 

その時、私が80歳すぎたおばあさんになっていたら

 

体力も気力もなくなっているだろうし

 

自分では処分できないかもしれない。

 

どうしたら、夫の買い物癖と溜め癖を治せるのだろうか。

 

もはや諦めるべきなのだろうか。

 

今は結論がでない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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