Sunnyday’s diary

49歳で離婚、50代で国際再婚活、アメリカ人の夫との生活

ハワイに移住する前の1年間

 

 

婚約者ビザの申請を始めてから受け取るまでの一年間は申請手続きのプロセスが多く、おまけにコロナ禍だったので、ハワイに行くまで働こうと思っていた会社が人員整理を始めた。

 

初めに解雇が始まったのは他の部門からだった。

 

その部門にいたほとんどの人が解雇された。

 

そしてその他の部門の解雇もじょじょに始まった。

 

最後に私のいたセールスマーケティング部門には日本支店のアメリカ人副社長から、自ら自主退職してくれる社員には先着順でアマ○○の仕事を紹介するという通達がありました。

 

私はアメリカに行ってしまうのだから、他の同僚より早くに退職すべきだろうと思った。

 

新卒のうぶな社員はすすんで早めに退職したが、残りたがっていた数人の同僚は最後まで退職しないで粘っていたそう。

 

私が辞めた後に最後まで残ったある歓迎は営業成績が常にトップ3内だった。

 

私がいた部門のある上司も解雇され、残ったもうひとりの上司は営業成績トップ3人のみの残し、それ以下の成績の人は解雇され、大量解雇の後の会社の巨大なフロアはほとんどひと気がなくし~んとしていたとその仲間が言っていた。

 

確かに、これがアメリカの会社だな~とドライな実感がありました。

 

私は自らサッサと退職して、とりあえず保険の申請をしに行った。

 

職安に申請に行くとコロナ禍でたくさんの人が並んでいて、ずっと待っていないといけなかった。

 

職員はかなり忙しそうで、ひとりひとり丁寧に対応している時間がないらしく、私の番がきた時も、あっという間に保険申請が終了。

 

母と母の夫と同居するのは嫌だったけど、アメリカに渡る前の私はなんとか節約したかったので一年ほど同居させてもらった。

 

もともと母は一軒家に母の夫と暮らしていた。

 

家の老朽化の問題もあり、老人が家の管理をするのはどんどん大変になっていくのもわかっていたので、私が20歳の時に亡くなった父の遺産で購入した東京のマンションから静岡に買い替えたマンションに母と母の夫を住ませた。

 

マンションを購入した時からずっと住んでいる彼らは、生活の実態がある。

 

そこに私が居候のような形で仮住まいするという奇妙さ。

 

はてしなくずっと一緒に暮らしているという奇妙さを受け入れられないため、私は離婚後、東京にひとりで暮らしているほうが気が楽だと思っていた。

 

母の夫が嫌いだからというのではなく、単純に気を使いながら一緒に生活したくなかっただけだ。

 

離婚して、ひとり暮らしの気楽さも解読してしまったので少しの間、母たちと一緒に仮暮らしすることより、ハワイで彼と一緒の生活が始まることを考えると正直、大丈夫なのか不安にもなった。

 

仕事が終わって帰宅すると、誰もいない部屋の中でのびのび勝手にやれるひとり暮らしの解放感を知ってしまった私が、夫と一緒の時間をこれから過ごす。

 

その日の気分で自分中心に好きな時に好きなものを食べることができるのは独身もならでは。

 

仕事が終わって一人だけの部屋なら、見られるわけじゃないからどんな格好でもいい。

 

お風呂に入るもいつでも自由。

 

くだらないけど、何だか窮屈に感じた。

 

これからちゃんとやってけるかなぁ...

 

ことは一長一短、しかたない。

 

 

 

そして静岡に引っ越して短期の求人を探すことになった。

 

私はアメリカに渡すことを考えると短期の仕事を選ぶしかなかった。

 

50代で短期で働ける求人を見ると、コロナ禍だったので給付金の問い合わせ対応やワクチン接種の問い合わせや予約受付のコールセンターの仕事が来ました。

 

今働いていた会社より給料は大体まだですが、家賃を告げずにただただ、ほんの少しでほっとするところが働いています。

 

今の私にはぴったりだと面接に行くとあっさり決まり、仕事そく開始となった。

 

短期の仕事をしながら婚約者ビザの手続きをして、母たちと一緒に仮暮らしをした一年だった。

 

気をつかう部分もあったが、ハワイに移住する前の一年を母たちと一緒に過ごせたのは今考えてみると、よかったのかと思う。

 

仕事から帰って母が料理を手伝ってくれて夕飯がでてくる。

 

今でも思い出すが、本当にありがたかった。

 

 

そうこうしているうちに、アメリカ大使館の面接も健康診断も終わりついに、婚約者ビザが郵便で届きました。

 

とは言ってもパスポートも張り付けてあるのだけど。

 

コロナ禍でアメリカ移住局の仕事に遅れがでていたようで、受け取りまで通常より長い期間待たなければならなかった。

 

アメリカの移民局に認められたら90日以内にアメリカで結婚し結婚証明書を申請しないと無効になる。

 

まだまだ手続きは終わらない。

 

そして片道の航空券を予約しました。

 

その頃はまだアメリカ渡航前には英文の2回のワクチン接種済みの証明書が必要で役所で作ってもらわなければいけなかった。

 

搭乗前何時間前だったか忘れたけど、陰性検査をして英文の陰性証明書も必要。

 

なんとハワイ州は日本の中で特定した検査機関で発行された証明書しか受けつけない。

 

私が住んでいた静岡の周辺にはなかったので、渡航する日に空港で陰性証明書を発行してもらうことになった。

 

万が一、当時だったら空港から引き返さなければならないので、ただ緊張した。

 

おまけに台風シーズンだったので、もし新幹線が停車してしまうと検査の予約時間に間に合わなくなる可能性もあり、前日から空港近くのホテルに宿泊した。

 

当日は検査から陰性証明を発行してもらうのにわずか3時間かかるので、フライト前の6時間前に空港に到着。

 

検査結果は搭乗3時間前に陰性結果がでて、やっと飛行機に乗れる~とほっとした。

 

空港はコロナ禍で施設内の店舗が閉まっていて~んとして、ひと気もないし、ところどころ照明も消されて薄暗かった。

 

搭乗時間になり飛行機が離陸し、日本の景色を上空から見た時ああこれで今までの日本の暮らしが終わるのかと、なんだか今まで感じたことのない寂しさが溢れてきた。

 

マウイ島の空港に着くと、汗だらけの彼がレイを迎えてくれた。

 

私はそれを覚えていたので、結婚後一年程して空港で出迎えてくれた時、汗まみれだったねと言うと、緊張していたのかもしれないと夫は言った。

 

コロナ禍でお互いに会えなかった期間があったし早く会って新たな生活をスタートしたいと思っていたのに、なぜか久しぶりに会えた感動が薄かった。

 

これもいつでも連絡できるラインやしょっちゅう顔が見れるビデオチャットの影響なのだろうか。

 

空港から車を走らせ、のどかなマウイ島の景色を見た。

 

過去に旅行で来て見た時はわ~ハワイの景色、きれい~と感じたのに、こんな何もないような離島で暮らすのか...と不安になってきた。

 

それでも不安になったら前に進まないので、その気持ちを打ち消すしかなかった。

 

彼の家に到着。

 

今日からここで新たな生活が始まるのか...

 

これから始まる生活、どうなっていくのだろう。

 

なんだか想像しにくかった。

 

私、やっぱり独身で気ままな生活の方がよかったのか...

 

このごにいて、そんな事考えてる場合じゃないのに。

 

以上のものごとは一長一短...

 

独身生活には独身生活の良さと悪さ、結婚生活には結婚生活の良さと悪さがある。

 

しかし葛藤が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

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