未来のことなどわからない。
まさか私がハワイでアメリカ人夫と暮らしているなんて、10年前にはまったく思いもしなかった。
でも、ああなりたいとかこうなりたいという思いから小さく始めた何かが形になっているのが現在。
私は49歳で離婚した時ほぼ専業主婦だった。
その時の夫と別れ、身も心も軽くなったものの、これからどうやって生きていくかを真剣に考えないといけなかった。
その元夫との結婚生活で、どうしても解決できない問題があり長い年月、その問題は解決できず、ついに離婚となってしまった。
その元夫とは問題を抱えたままでも結婚生活を続けていれば、私は金銭的には困る事なく生活できていた。
どんな問題があったかについては私はまだ語る勇気がない。
離婚して長い間抱えていた重圧から解放された私の気持ちは羽のように軽かった。
それから専業主婦だった私がどうやって収入を得て生きていけるのか真剣に考え始めた。
49歳から働く仕事を探しながら10年後、20年後と健康に生活できているか気になった。
20代、30代とは違って身体に変化を感じ不安になる世代に入っていくのだ。
それまでやっていたヨガも続け、健康関連の様々な本を読んだ。
その中でアールヴェーダというインドの伝統医学にはまり、様々なアーユルヴェーダの本を読んだ。
日本にはいくつかアーユルヴェーダのスクールがあるがどこも高く、離婚して節約しなければならない私には不向きだと思ったが諦めきれないでいた。
するとインドやスリランカでは、日本のスクールよりかなり安くアーユルヴェーダのクラスを受講できることがわかった。
私は迷いなくインド2か所で受講することを決めた。
受講して修了証書を取得し、日本でアーユルヴェーダのマッサージの仕事に就こうと考えていた。
しかしインドで受講後、クラスを受講したアーユルヴェーダの女医が経営するクリニック&スパで日本人のマネージャー兼セラピストを募集するというメールが届いた。
私は即決で応募した。
よく考えてみれば、インドまで行ってそんな珍しい仕事をしたいと思う日本人もそうはいないだろうに。
というわけで私にすぐに決まった。
それでもインドには1年以上滞在はしたくなかった。
インドでクラスを受講した時、魅せられるようなインド独特の文化とは対照的な不衛生さやちょっとした見たくない部分も見たので、短期ならいいけど長期では滞在したくないと思っていた。
結局、私は約一年インドに滞在し東京に帰国。
日本にはアーユルヴェーダを謳ったリラクゼーションサロンがあり、いくつかはセラピストを募集していた。
しかしアーユルヴェーダというより経営上、オイルを使用したマッサージを提供しているサロンがほとんどだった。
私は生活していなければならないので、矛盾はあったがとりあえず応募し採用され、仕事に就いた。
今は改善されているかもしれないが当時は労働状況が酷かった。
セラピストとしてマッサージの腕を磨くより、営業的要素を求められる。
来店されたお客様にカウンセリングと称して、実は10回、20回、30回、、、とコースのまとめ買いをおすすめクレジットを切る。
客が首を縦に振るまでしぶとく説明するセラピストもいる。
その営業成績でセラピストの価値が決まる。
インドでは主に世界中から来た旅行者が立ち寄るスパなので、一回きりの客を相手にするためコースのまとめ買いなどの営業しなくてもよかった。
が~ん、これが東京のやり方、、、これが美容業界のビジネス、、、
東京でマッサージセラピストとして働いていくなら、この営業をやり続けなければならない。
専業主婦をしてきた私は本当に世間知らずだった。
私は正直、営業担当とセラピストは互角じゃないかと思った。
そして、ある日の出来事が起きた。
痩せるために20回コースを選んだ女性会員に、あるセラピストがマッサージ後に施術台にドームサウナを載せて5分後、その女性会員が熱くなり、苦しがっだ。
そのセラピストはあと5分くらいは我慢しないとね、、と伝えたが、すぐにその女性会員の様子がおかしくなり、救急車を呼ぶことになってしまった。
事務室およびセラピストの休憩室には女性社長が来ていて、その営業成績のよいセラピストと話していた。
太っているから暑いのが苦手なんでしょう、大げさに言ってるだけでしょう、、、と話しているのが聞こえた。
営業的には20回のコースを終了する、少し前には次のコースやオプションをどう勧めるかを考えているのだ。
もちろん救急車で運ばれた女性はもう来なった。
人を危険な目に合わせるような経営をするサロンに嫌気がさして辞めた。
セラピストとして不信感なしに働けるようなところなどないような気がして、かなり落ち込んでしまった。
しかし落ち込んでいる暇などなかったので、また振り出しに戻り、私は何をして収入を得たいのかよく考えてみた。
マッサージセラピストになろうと思ったのは体調がよくなって喜んでもらいたいから、つまり人が喜ぶ姿を見たいからだった。
求人サイトを条件を入力して探しているうちに、結婚相談所の求人に当たった。
年齢的にも合っている結婚アドバイザーやカウンセラーの仕事。
婚活している人を結婚まで導く仕事。
私は結婚前に、あるホテルに新卒入社しブライダルの部門で働いたことがある。
すでに結婚が決まっているカップルとプランニングするので幸せそうなカップルの笑顔が見れ、他の仕事に比べてあまりストレスのない仕事だった。
その経験から結婚アドバイザーやカウンセラーの仕事を選んでみた。
でもおめでたいことに関する仕事であるはずと思った、この仕事…
実際はおめでたい場面はほとんど見られなかった。
セラピストの仕事を辞めて、この業界にきたのだからそんなに簡単に辞められないと思い仕事をしていたのが実際のところ。
やっていくうちに何か希望が見いだせるかと思いながらとにかく毎日働きに行った。
仕事内容に嫌なことは特になかったが、その大手結婚相談所の会員となった人に気の毒だなと思ったり、はがゆい気持ちになったりということだらけだった。
例えば、私が働いていた支店は全国の支店でも毎月の売上がトップ5に入っていたが、そんな上位の支店なのに年間で結婚できたカップルは1組か2組というのが現状。
会員となって10年以上経過しているのに、結婚できない会員だらけ。
100万、200万以上とかなりの料金を支払ってきた会員、なぜか辞めないで支払い続けている。
会員の引き留め合戦。
休会している会員にタイミングをみてもう一度スタートさせるも同じ結果しか出ないので10年以上も居続けるのだ。
またよくあるパターンとして、会員プロフィール写真になぜこんな写真を載せちゃったのと思うようなことをしでかす人がいるのも事実。
例として、背景は自宅の年季入りで汚れたふすま、そこでノーメイク、手入れされていない髪、普段着、笑顔もなく無表情、、、
彼女はまだ28歳なのに、誰からも声がかからない。
〇〇さん、写真を変更しませんか?
ヘアメイクをプロに頼んで写真館で撮ってもらうと、きっとたくさんの男性から声がかけられますよと伝えても、まったくやる気なし。
このようなパターンは実際何度も見た。
1度目で自分より20歳も若い女性と結婚したが、その女性が金使いが荒すぎて離婚、次回は堅実な女性と再婚したいと言う50代後半の男性会員がいた。
結婚相談所の会員になるとネットで会員のプロフィールを見ることができる。会ってみたい人を見つけたらアドバイザーに伝え、お相手の了解を得たらお見合いできる。
その50代後半男性の会員がいつもお見合い相手に選ぶのは最低でも10歳年下、20歳年下の女性。
女性会員からすると自分より10歳、20歳上の男性会員から、お申込みありましたよと勧められると憤慨する場合が多く、お断わりも多い。
20代、30代の女性の多くは一般的には同世代、いっても自分より5歳上くらいまでを望む。
その50代後半の男性から若い女性に申し込みがあると、また来たかとアドバイザーは困ってしまう。
ある日のこと、その男性会員が15歳下の女性会員とデートした。
その後、その男性会員から電話が入った。
「あの女性は大変失礼だ。
ホテルロビーでフレンチレストランで食事後、ブランド品が並ぶフロアで散歩したと言われたり、次回は高級イタリアンお願いとも...
完全に金目当てじゃないか! 」と激怒。
プロフィールを見てお見合いしたいと申し込んだのはその男性会員。
例えば女性会員の中には50代、60代の男性会員を高級な食事におごらせたり、高級ブランドのバッグを買わせたりするためにお見合いする人もいるのだ。
そんな目に会いたくないなら、自分の年齢を考え、痛い目に遭わないように誠実なタイプの女性を選べばいいのだが、そういう人は何度も痛いような目にあうようだ。
結婚相談所の仕事自体は嫌ではなかったが、人が喜ぶ姿を見る機会は現実的には思っていたより少なかった。
人が喜ぶ姿を仕事で見るなんてしょせん、たわごとかもしれないと感じ、でも、たんたんと働く自分...
お給料としては贅沢はできないけど、まあ普通に食べていけていた。
心の中でずっとこのままなの?という気持ちがくすぶり続けていた。
そして休みの日や休憩時間に、気がつくと求人サイトを眺めるようになっていた。
偶然にも、あるアメリカ大手の会社の日本支店のセールス部門の求人を発見。
私の指は応募にクリック。
採用までは、郵送で履歴書、振込み、電話でのヒアリング、面接2回、入社試験は一般教養的なもの、英語スキルの確認等。
そして採用された。
その会社の営業職は楽な仕事ではなかっただったけれど、やりがいも感じられた。
社内の空気間が好きだった。
社員は日本人が多かったが、アメリカ人副社長の社員への対応もとてもフレンドリーだったし残業することはいいことではないという雰囲気なので、する場合はこっそりしている人もいた。
営業成績次第で毎月のサラリーが違ってくる。
こんなにもらえるなんて!とかなり嬉しい月もあった。
営業職で頑張ろうと思わせてくれた会社だった。
転職を繰り返し、やっとこの会社でずっと働きたいと思える会社だった。
そしてその会社で働き始めた頃にオンラインのデーティングサイトで今の夫と出逢った。