昨晩やっと願っていた雨が降った。
完全には鎮火してはいないが少しホッとした。
日本の友人や元同僚からも心配されてラインがきていた。
うちからダウンタウンに行くハイウェイも閉鎖されなかったので仕事に行くこともできた。
この大規模火災の影響で数名の同僚が仕事に来れなくなった。
数名はシェルターにいるそうだ。
同僚たちも皆元気がなかった。
夕方、すぐ近所の体育館を通ると避難してきた人たちがたくさんいるのが見えた。
少しくらいの雨ではすぐには鎮火しないのだろう。
そして今日も風は強い。
職場では同僚が火災でシェルターに避難している友人や親戚の事を話していた。
シェルターに避難した人たちはほとんど皆んな家を火災で失ってしまった。
ラハイナの火災を逃れてきた男性がインタビューでこう答えていた。
逃げようとして運転したが
黒煙がすでに拡がっていて前が見えず
何かにぶつかるかもしれないし
道がどうなってるのかもはっきり見えず
何箇所も火災で遮られ通れず
途中、何度か爆発音がして
引き返しながら
やっと脱出してきたそうだ。
灰になってしまった住宅街には動物の死体がところどころに見られたそうだ。
飼っていたペットの多くが取り残されてしまったようだ。
これからどこでどうやって生きていくかを考えなければならないのが気の毒でたまらない。
夫の息子と息子の彼女たちは彼女のラハイナの両親の家で一緒に暮らしていた。
お気に入りの衣類も今までの思い出の全てが全部燃え尽きたと言っていた。
とりあえずお母さんの家にしばらくいて、その後は夫の父の家に移る予定。
頼る家も人もない人たちはシェルターにいるけれど
長期は精神的にも肉体的にも酷だろう。
夫にはラハイナに住んでいるステップソンがいる。
そのステップソンが消息不明だったが
さっきやっと生存が確認できた。
火災で急いで逃げたため携帯のバッテリーもなく
連絡できなかったそうだ。
炎から逃れるために海に飛び込むしかなかった人たち。
夜の真っ暗な海から見たラハイナの燃えている街を写したビデオ。
ヘリコプターやボートで助け出された人。
海に飛び込んでも黒煙と火花が向かってきたそうだ。
延々5時間も海にいて燃えてない浜辺までたどり着いた人もいた。
海に飛び込んだが海水を飲み込み、溺れるかもしれないと思い、もう一度陸にあがった人は火災で焼けた地面を裸足で踏んだため大火傷をしたそうだ。
さぞかし言葉にできないほど恐ろしかっただろう。
マウイ島の食べ物に文句を言うことがあったけど
ラハイナの歴史あるレストラン キモズは大好きだった。
本当に素敵なレストランだった。
キモズが全焼してしまったのが本当に残念だ。
夫と夫の友人や弟が本土から来るとキモズに出かけたことを思い出す。
今度はいつキモズに行けるかなあと思っていたが
風情ある歴史を感じさせる建物にはもう二度と行けなくなってしまった。
アメリカ本土から観光旅行に来ていた人は急いでツアーガイドのバスに乗って逃げたため
ホテルの部屋にスーツケースも置いてきて何も持っていないとインタビューで答えていた。
空港はオアフ島に移送される観光客でいっぱいで床に寝て過ごしているそうだ。
せっかくバケーションで来たのに本当に気の毒。
先ほど、夫の息子たちに寝具を届けに行ってきた。
夫の息子のお母さんも一緒に来ていた。
お母さんに話しかけると
全てを失いました。
家も車も何もかも…
今、火災の跡の焼けた家を見に行くことは許されていないので気になってしかたないけど我慢するだけですと泣いていた。
夫の息子の彼女はまだ起きたことが信じられないと言っていた。
彼女はラハイナのロングス・ドラッグスで働いていた。
彼女の職場も全焼したため職も失った。
カナダからマウイにバケーションで来たカップルはインタビューでこう答えていた。
ギリシャに行こうとしたけど
火災の心配があるのでやめてマウィに来たら
火災に遭ってしまった。
世界中が気候変動でおかしいことに。
旅行に行くのも不安になる。
私は日本に9月帰国予定。
まだ台風も発生する時期。
帰国時に交通網がストップしたらと思うと心配。
やはりどんなことをしても人間は自然に逆らえない。
人間が築いてきた文化も歴史も自然の脅威にあえば
あっという間に吹き飛んでしまうと痛切に感じた。