久しぶりにインドにいた時にお世話になった人とチャットをした。
彼女はアーユルヴェーダの医師で私は彼女のクリニック&スパで日本人向けにアーユルヴェーダの説明をしたり、時にセラピストたちと一緒にトリートメントもしていた。
その彼女の息子はふたりともトロントに移住し、彼女も年のうち数ヶ月はそこに滞在している。
その彼女が今年、日本でアーユルヴェーダのワークショップを開催した。
私も日本にいる時、彼女と数回開催したが、楽しかったけれどなかなか大変でもあった。
彼女とのチャットで、Namaste とテキストされていて、その言葉が懐かしかった。
こちらに来てから、その言葉とは無縁になった。
アメリカなので、もうHiに慣れてしまっていた。
Namaste という言葉はこんにちは、おはよう、こんばんはとして使用されているが
サンスクリット語では元々は
あなたの中にいる神に会うというのがもともとの意味。
どんなひとにも尊く清らかな部分があり、それを敬いましょうという意味で挨拶時に使う言葉
その意味を知ってから
Namaste と口に出すことで、多少なりとも気持ちが引き締まった
もちろん日常的なことなので、
インド人が皆、毎回そう思ってナマステと言うわけではなく、
私は言葉の意味を大切にしたいと思った
日常生活ではいろいろな状況下で起こることに対して反応して、どんな時でも平和な気持ちでいることは簡単ではない
日本だと神社にお参りする時は、いつものざわついた気持ちを一旦消し去り、静かに整えられた感覚、つまり冷静で平和な感覚を持つでしょう
人は人に対して様々な感情を抱く
それが損得感情なしに好意的ならいいけれど
そうでない場合、酷くなると暴力的な感情にまで発展してしまう
Hi という挨拶はもちろんフレンドリーで馴染みやすくていいのだけど
彼女とのチャットでNamaste に久しぶりに触れて
この言葉は忘れないように大切にしようと思った
最近、アメリカは大統領選前なので、ニュース番組は自分の支持したくない政党、政策への非難ばかりだし、結果を出すために極端になっていたりもする
ハワイはアメリカの州の中では最も人種差別をする人が少ないと言われている
私もここに来て3年近くになるけれど、地元の人がいい人たちで人種差別で嫌な態度などとられたこことはなかった
先日、ある友人の誕生日で10人くらいが集まった
その日は私を除いて全員がCaucasian (白人)だった
途中で一組の夫婦がやってきた
私はその家の門の近くのデッキの端にある椅子に座っていて、
その夫婦が私の横から玄関に向かって入ってくるため、私は椅子から立ち上がり、いつものようにニコっとして初対面の挨拶とハグをしようとした
しかし妻は私とは目も合わせず挨拶もなし、もちろんハグもなし…
一瞬、え?どゆこと… その人は私以外には挨拶して、ハグ…
その後もいっさい私とは会話しなかったし、帰り際も全く無視…
なぜ彼女が私にそういう態度をとったのかは不明
過去の個人の体験からかもしれないし、彼女の中で確立され思想や主義になったのかも不明…
彼女が人種差別をする人なのかどうか証拠はないので不明
あ!これが人種差別?と反射的に思った私も
Caucasian は人種差別することがあるという刷り込みが心の何処かにあったからかもしれない
私はその出来事にあまりショックを受けていない、まあそんな人もいるでしょうくらいな受け止め方が自分でも不思議
何故か私は自分よりCaucasian である私の夫が気の毒になった
私の夫は私とは3度目の結婚だ
一度目の妻は日系で、私と彼女も友好的な関係
その彼女と結婚する時、夫の母は日系である彼女を心良く思ってくれなかったそうだ
夫の父は彼女と離婚した後にやはり日系の女性と暮らし始め、そして夫もまた日系女性と結婚することになって
日系であることが母を不愉快にしてしまったと夫は言っていた
夫の母は既に亡くなっていて、義母の遺品に素敵なクリスマスグッズや彼女はカードや本の挿絵などの絵を描く仕事をしていたため素敵なカードや本を残していて、それを見ていて生きていたら会ってみたかったと夫に言った時に、そんな事を聞かされたのだ。
私がここに来てまだ間もない頃、ハワイでも人種差別する人っている?と聞いたことがあった。
夫はそういう人はハワイは本土に比べて少ないよ、
本土は残念だけど人種差別する人はやっぱりいるから、君がもし本土に住んでいたら嫌な気持ちになることはハワイより多いと思うと言ったことがある
でもどこの国でも日本でも人種差別はなくならない
差別は過去の個人的な経験が引き金になっている場合もある
同じ環境で同じ思想や主義の人と一緒にいて、狭い範囲で思考しているとそれが正しいと信じ疑いを持たず、それとは違う物事を受け入れる柔軟性に欠けてしまう
通っていたマッサージセラピストの学校にはインストラクター、先生、生徒の中に様々なLGBTQ+がいた
慣れていない私は対応にためらうこともあったけれど、彼らは皆親切で優しく接してくれたことに感謝している
ある日、友人と話していてその友人はもし自分の子がLGBTQ+だったら受け入れられないと言っていた
彼女の気持ちもわかる
夫にも聞いてみた
夫は難しいとは思う…でも受け入れると言った
私も同じだ
共存することはとても大切であると言われているけれど、共存するのには相手を理解することが必ず必要になる
冷静に機械的に今自分は自分の主義や思想を何%主張することに熱量を使い、何%を相手を理解するために熱量を使っているんだろうかと計算したら、その割合があきらかになり、外側から今の自分を判断できる方法の1つになるかもしれない…